初めての月命日、母に寄せて(前編)

初めての月命日、母に寄せて(前編)

2018年12月18日午前6時6分、
僕と弟の母、輝子さんが静かに息を引き取りました。
父と弟と伯父と僕の4人に見守られて、
とても静かにとても穏やかに息を引き取りました。

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母にありがとうを伝える

僕はこれまで“本当のありがとう”をきちんと母に伝えてきただろうか?
本当のありがとう
産んでくれてありがとう、
育ててくれてありがとう、
愛を与えてくれてありがとう、
そこに居てくれてありがとう、
心からのありがとう。

僕は今回初めて声に出して、母に“本当のありがとう”を伝えることができたのだと思う。
これまでだって機会はあったはずだった。
小学校・中学校・高校を卒業した時、
家を出て札幌で一人暮らしに出発する時、
北海道を離れて上京の決意を伝えた時、
僕と嫁さんの結婚式の時、
弟の結婚式で家族が揃った時、
我が子、母の孫を連れて帰った時、孫を抱っこしてもらった時、
たくさんの機会があったのに、“本当のありがとう”を声に出して伝えただろうか?

お茶を入れてくれてありがとうのありがとうじゃなくて、
心からのありがとう、
“産んでくれてありがとう”のありがとう。

ぼくはようやく、この母の最期の入院中に、
この命を、たくさんの心を与えてくれた母に、
“本当のありがとう”を初めて声に出して伝えることができた。

お母さん、たくさんの時間を一緒に過ごしてくれてありがとう
ぼくの話をこうやって聴いてくれてありがとう

母と幼い頃の僕と弟

家族を応援する、ファシリテーションする

母の体が余命数カ月の深刻な状況であることが分かったのは2018年9月末のこと。

太ももの付け根の痛みが強く起き上がれなくなってしまった母が救急車で搬送され、そのまま入院となった。母本人を含む家族全員が外科的な症状を想定していたのだけれど、検査の結果、食道にステージ4Bの、いわゆる末期の癌が見つかり、食道から肝臓、肝臓から大腿骨への転移など、全身への転移が症状の原因だとわかった。

母は強い。女性は本当にこういう時強い。
最初の数日こそ、癌とは思わなかった、と驚いていた母だったが、数日後には自分の体の状況を受け入れた様子で、取り乱すことなく、優しい物腰で静かで穏やかな、僕と弟がよく知っているあのいつもの母に戻っていた。

しかし、男は弱い。
父も僕も弟もそんな数日では動揺はおさまらない。それぞれ自分がどのような態度でどのように母と接すれば良いのかわからずにいた。

母は母らしいままに、僕は僕らしいままに、家族みんなが家族らしいままに、残された時間を過ごすには?

“目下の状況にあって、選択可能な最良の選択はなにか?”

家族の、母の死がリアリティを持って目の前に現れたことで一時見失いかけた僕の得意分野・自分の専門性、そう僕はコーチでファシリテーターなんだ。
コーチとしての勇気づけを、ファシリテーターとしての応援を、家族に、自分に、そしてもちろん母に、全力でする。困難な時にあってこそ家族を本当に応援できる存在こそが本物の“家族ファシリテーター”なんだから。

あと数ヶ月しか時間が残されていない、ではなく、
あと数カ月、母と過ごすことができる

母は起き上がることも困難で退院は絶望的、ではなく、
しっかりと意識を持って会話できる母が今ここにいる

困難にあって、目下の状況の欠点、欠けた部分を見るのではなく、
そこにあるもの、満たされた部分を見る、
そこに働きかける、今できることをやる。

お母さんとたくさん話そう、“その時”はたしかに近づいてるけど、母と心はこれからもずっと繋がってる、お母さんの声に、表情に、笑顔に、手の暖かさに、直接触れられる今の時間をすてきに穏やかに過ごして、残された時間を忘れられない、かけがえのない時間にしよう!
父は毎日、病院に通って母の足をマッサージした。
弟は母に寄り添い、優しく看病した。
僕は笑顔でいることにした。母に安心してもらえるように、父と弟を応援するために、僕自身が欠けた部分にとらわれずに、満たされた部分を見続けるために、笑顔なんだと思った。
笑顔で、ありがとう、って言えた。泣きながらになっちゃったけど、ちゃんと笑顔で、ありがとう、を言えた。

僕は笑顔の冒険者、
家族と仲間を応援する笑顔のファシリテーター、
お母さん、ありがとう

物事の欠けた部分をみるのか、満たされた部分を見るのか

母へのインタビュー、楽しかったことはなに?

もう一つ、僕にできること、
入院中の母の話をたくさんたくさん聴くことにした。
元来、物静かで多くを語らない、とくに自分のことは全然話さない母へのインタビュー。
小さい頃楽しかったことはなに?
父とはどんな風に出会ったの?
僕はどんな子だった?弟はどんな子だった?
僕らといて楽しかったことは?
僕と弟にこれからやってほしいことはなに?

静かで穏やかで多くを語らない母の“楽しかったことはなに?”が一つ、また一つと集まってきた。

父が決めた僕の「道(みち)」という名前を母が初めて聞いた時、どう思ったんだろう?
同じく父が決めた弟の「峰(ほう)」という名前を母が初めて聞いた時、どう思ったんだろう?

僕の名前「道(みち)」を初めて聞いた時、
母は「かわいらしくていい名前ね」と思ったと教えてくれた。

弟の名前「峰(ほう)」を初めて聞いた時、
母は「男らしくてかっこいい、いい名前ね」と思ったと教えてくれた。

お母さん、たくさん話してくれて、たくさん聴かせてくれてありがとうね。

僕の名前、弟の名前の由来、名前を聞いた母の感想をインタビュー

初めての月命日、母に寄せて(後編)

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