世界観、私たちが世界を創っている

世界観、私たちが世界を創っている

この世界を創っているのは誰だろう?
私だろうか?私以外の誰かだろうか?

あらためて思いを馳せたなら、この奇跡の惑星・地球上の生を受け、こうして活動していることだけでも、まさに奇跡を生きているのだし、感謝・畏れ多い気持ち・私の命の意義とは?、そんな思いが沸き起こってくる。
一方、目の前の現実はいつだって厳しい。世界は、社会は、会社は、家族は、夫は妻は、息子は娘は、僕の私の命の時間を、蹂躙し占領し支配し操ろうと狙っている。
この世の奇跡の命と、この世の悪夢に支配される命、どちらが真実なんだろうか?

認識としての世界観『○○が△△を創っている』

この図は、僕の最も重要な世界観を表した図解だ。順を追って説明しよう。
まず、
青の横軸、左から右の矢印は、「世界が私を創っている」、
赤の縦軸、下から上の矢印は、「私が世界を創っている」。

次に、この図を四つに分割しマトリクスにする。


左下は「この世界を創るのは誰でもない」という世界観、言い換えるなら無垢・無自覚な世界観。
右下は「世界が私を創っている」、私は世界に支配されている、私にできることはなにもない、という支配された世界観。
左上は「私が世界を創っている」、世界は私の思い通りで、私は私の力を存分に発揮している、という支配する世界観。
そして、
右上は「私たちが世界を創っている」、私と世界は互いに影響を与え合って望む未来に進む、調和・シナジー・奇跡の世界観。

僕はどの世界観で生きているのだろうか?
あなたはどの世界観に当てはまると感じるだろうか?

現実の世界と、認識の『世界観』

ところで、現実の世界はどうなっているんだろう?

現実には、私は確かに世界からの影響を受けている。これは全ての生けとし生けるもの、さらにはあらゆる物質・空間・認識の全ては、必ず世界からの影響を受けている。この世に、あらゆるものからの干渉を受けない存在を人間は発見していない。原理的に「無い」と断言してもいい。

一方、私は世界に影響を与えているだろうか?これについても「必ずなんらかの影響を与えている」という結論に終結する。生命を維持する以上は呼吸し休息し食事を取る。与える影響の大小に差があったとしても影響がゼロになることはない。そう生きている限りにおいては。

つまり現実にはまさに、「私たちが世界を創っている」のだ。

もし、僕が、あなたが、「世界が私を創っている」ないしは「私が世界を創っている」との認識を持っているなら、それは現実の世界との間にギャップがある状況、と言える。そしてのこの、「現実世界」と「認識世界」のギャップはほとんどの場合、苦悩・葛藤・焦燥感・無力感として受け取っているのではないかと思う。

もちろん、一人ひとりの影響力の違いを感じることもある。影響力の大きな人・小さな人、確かに差はあるのだろうと思う。ただ差があるにしてもその違いは0か1か、ではなく、1か100の違い、である。1か100か、にはたしかに大きな違いだ。しかし、0か1かの差は、もっと大きいのではないだろうか?無か有か、の差とは、命が無いのか有るのか、の差なのだから。

『私たちが世界を創っている』を意図して選ぶ

僕はこの尊い命を全うするために『私たちが世界を創っている』という世界観を意図して選ぶ。たしかに現実は厳しい。世界が私を支配するかのように、私が世界を支配しているかのように、いつだって挑んでくる。

だから意図して選ぶのだ。僕は『私たちが世界を創っている』という世界観を。

この『私たちが世界を創っている』という世界観を、世界に伝えることこそが僕の使命なのだ。
7つの習慣・マインドマップ・コーチング、3つの概念はどれも『私たちが世界を創っている』世界観へ誘うツールなのだ。

成長曲線はまっすぐではない。螺旋のようにグルグル回っているのだと思う。

それでもなお、僕自身が、あなた自身が、意図して目指すなら、右上の世界観『私たちが世界を創っている』を選ぶことができる。たどり着くことができる。

あなたのライフが、心豊かな冒険でありますように。

豊かさへのみち案内コーチ・なかおみち

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